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1] 『下流社会』天竺堂通信サン*】  top↑

 以前、当ブログで社会の二極化について書いたが、私ごときの思いつきなど、とっくに一般化していたようだ。研究者らの書籍を何冊も見かける。 著者の三浦展は、マーケティングの専門家。 衣食住は足りていながら、上昇志向に欠け、“中の下”あたりを浮遊する連.... .....
entry_list11/12 INかOUTか――「下流社会」?
敬愛する書評家、小松田儀貞氏の日記から。


とかく政治的謀略、悪政の結果として書かれることの多いこの問題について、一切政治に触れないまま新鮮な切り口で書かれていることに感銘を受けました。 なお、当記事は小松田氏の了承を得た上で掲載しています。




三浦展『下流社会』が売れているらしい。新聞広告だと30万部突破。某コミュニティのレビューをこの間見たらもう100を越している。

 階層の二極分化みたいなことは、しばらく前からいろいろな人が言い始めている。教育の世界でも子どもの学習意欲に関連して同様のことが言われているし、学者でなくても桐野夏生などが言ったり書いたりしていることはこういう議論に近いような気がする。(単純な二極分化論ではなかったようだけど)
 
 80年代の渡辺和博(ナベゾ!)のマルキン・マルビ分極論と同じように読まれているのか、という気もしたが(いずれもマーケティング業界の中から見た感覚的、経験的な議論で学問的な裏付けという点では???という意味でも)、やはり時代的な文脈は違っている。方やバブル期、方やグローバル化時代の厳しい経済状況での出版。

 格差や階層、要するに不平等という問題について、日本ではあまり積極的に語られない。もちろん学者の世界やマス・メディアでは出てくる議論ではあっても、そうでない人々にとっては、それには触れないでおきたい、あるいはもっと積極的にそんなことは考えたくもない、という精神的風土と関係があるのだろう。ヨーロッパだと結構普通に class という言葉は使われている。それがあることを良いとは思っていなくても、現実には存在するという認識だろう。ヨーロッパでCDを買ったら(通販だったか?)、購買者アンケートに「あなたの階級は?」という質問項目があったのでへえと思った、と友人に聞いたことがある。

 フランスで起こり、他地域へも飛び火している移民二世三世世代の若者の暴動。階級社会の不安定さがこういうかたちではっきり目に見えるヨーロッパ。「下流社会」が日本の現実かどうかは別にしても、日本ではヨーロッパで起こっているようなことはないでしょう・・・と考えたいところだが、どうだろう。日本にはあんなに移民はいないから大丈夫?友人を作ることはおろか、徒党も組めない?日本の若者には同様のことはできないだろう、という悪意(善意?)に満ちた推測はできそうだが。ただ今の日本の若者が不満を表出するとすれば、暴動という見えやすい形ではなく、もっと間接的で陰湿なものになるかもしれない。いや現に。
 
 ヨーロッパでは「社会的排除」という議論が起こっている。階層(階級でもいいが)というようなあまっちょろいものではなくて、事実上、社会の一員として扱われないような状況があるということのようだ。仕事につけるかつけないか、住居を確保できるかできないか、結局ホームレスになるかならないか・・・などが選択肢ではなく構造的に決まってしまう。所得の高い低い、上か下かではなくて、「社会」の「内」にいるか、「外」にいるか、の問題だということ。排除される側、あるいはその境目にあるという危機感をもっている人々にとっては、そういう感覚があるのだという。

 生き方や価値観に関わる話になると「人それぞれでいいんじゃない?」「本人がそれで満足してればいいんじゃない」 という言い方が、コミュニケーションを断ち切る方便としてよくされる。三浦展言う所の「下流」の人々の生き方は、まさに本人の生活に対する「満足」をアイデンティティの拠所にするところにあるようだ。このコミュニケーション技術はそういう人々に特有のものということになるのだろうか。しかし「それでいいのか」という「批判」(確かに無責任な「評論家的」批判は多々あるのだが)を「余計なお世話」とそれを言われる当人が封じたい気持ちもわかるにしても、当事者と非当事者の間で「お節介」無用とそれぞれ他者の視線や意見を一切さえぎってしまう態度もどうかな、と思う。

 「プレッシャーをかけられるのがいや」というメンタリティは、むしろ、現状肯定あるいは一つの選択肢にこだわりすぎることで、本当の意味での自分の選択の自由を狭めるという事態を生んでいるのではないだろうか。そういう人々を「わがまま」と非難するのはあまり意味がないように思う。ただ善意の「お節介」をはなっから拒絶するのは、もったいないことのような気がする。(もっとも厄介な「善意」もあることは確かで。しかしだからこそ「善意」とは付き合ってみる必要と価値がある。ただし、そこそこに)自己防衛の殻が、とげとげしくなって、自己防衛のつもりが結果として他人を傷つけてしまうということもある。

 「下流社会」論が妥当な現実認識かどうかはわからない。しかしその議論の部分部分は論駁できるにしても、もはや「日本は階層・階級社会とは無縁だ」とは言えないことは確かだろう。少なくとも、見たくない現実として見ないことにする、ないことにする、という「否認」(精神分析で言うところの)に逃げ込むわけにはもういかないだろう。「満足」(欲求充足)だけをLife(生命・生活・人生)の唯一の根拠と考えることも同じようにできないような気がする。




果たして、恥ずべきこの国の未来は?

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